日々は去るもの過ぎるもの。

だから書き留めてみるのだ。

(レポート編)ファシリテーターズ・インタビュー vol.02

もう2年経過したことに驚くのだけれど、ITコミュニティ祭りでのパネラー登壇をご縁として知り合った、@gaoryu さんが主催する、「ファシリテーターズ・インタビュー vol.02 佐々木薫さん× ガオリュウさん」編に参加してきた。

もやもやとたくさんの感情と過去の経験とこれからが浮かんで消え、だからきちんと何かにして残しておこう、とこれを書いている。かなり長文になる、予感。

不勉強で恐縮だが、わたしは「ファシリテーター」という存在を正確には理解していないだろう、と思う。ただ、ガオリュウさんのことばで、「場をつくる」というキーワードがずっと心にたゆたっていた。最近、様々なことによってよりいっそう、「場をつくる」ことに関心が強くなっていたところに、このイベント情報が飛び込んできたので、すぐに参加を決めた。そういう意味では、本日のセッション後の参加者の話のなかで、
ファシリテーターになりたい、と思う人っているのかな?」
という疑問の答えのひとつとして、「たぶん、いまここにそう思いつつある人間が生まれつつあります」ということが言えるかもしれない。その場合、わたしへの種は、ガオリュウさんが撒いた、ということになる、と思う。ある種ある意味、憧れの方、なのである。

自分自身は、いままで「場」というよりも「チーム」をつくるために、ある時は異分子として、ある時は特攻隊長(笑)として、あるときはお母さん(あるいは小姑)として動いてきた。立場と所属が変わり、それ以外の立場や動き方を考えたときに、この、「場をつくる」がぷかぷかと目の前を泳ぐので、取っ掛かりを探しに来た、ともいえる。

恐縮ながら、都合により遅刻参加だったので、はじめの部分を聞き逃してしまったが、途中からのレポートを兼ね、ぼんやりと自分の思考整理をしようと思う。
なお、リアルタイムでだいぶ打ち込みをしたけれど、話に夢中になって断片的であった箇所も多いので、誤りや、あるいは意図しない伝わり方になっていた場合は恐縮だが、参加者の方からご指摘いただければ幸いだし、適宜修正したい。

この記事は、多少断片的ながら、当日のセッションの記録を残す。感想は、次回記事で。

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佐々木薫さん
エンパワーメント・ドラムサークル
「プロフェッショナル・ファシリテーター---どんな修羅場も切り抜ける6つの流儀」

プロフェッショナル・ファシリテーター---どんな修羅場も切り抜ける6つの流儀

プロフェッショナル・ファシリテーター---どんな修羅場も切り抜ける6つの流儀

 

 

などの翻訳・著作をお持ちになっている。
ガオリュウさんによるご紹介文を引用する。

 

2003年より、打楽器の即興演奏「ドラムサークル」のパイオニアとして、のべ2万人以上をファシリテート。2009年に「学習する組織」に出会い、対話の場作りや組織開発に携わり、ユニークな研修を多数開発。言語・非言語のファシリテートを通じて、ファシリテーター自身の「あり方」が場に大きな影響を与えることに気がついて探究を始め、『プロフェッショナル・ファシリテーター どんな修羅場も切り抜ける6つの流儀』(ラリー・ドレスラー著、森時彦監訳、ダイヤモンド社)を翻訳、ドラスラー氏認定の日本唯一のSIFワークショップ・ファシリテーターに。Case Western Reserve大学認定AIファシリテーター、認定NLPプラクティショナー。
また、'89年から世界各国の先住民支援や環境保護活動を行い、民族学シャーマニズム、社会言語学、自然、ボディワーク等の造詣も深いため、それらもファシリテーションの参考にしている。

入室したときは、
「活動家たちの集まりに参加」した佐々木さんの、体験の結果にさしかかったところだった。

反対・賛成どちらの立場にも加担しないけれど、かわりにここにずっと居て、祈ることにした」と佐々木さんは仰った。

そういう体験談から、佐々木さんのドラムサークルに参加したときのはなしに移っていくのだが、「祈り」というキーワードがわたしには最後まで残った。

切れ切れではあるけれど、本日のセッションのなんちゃって記録を残す。

▼ガオリュウさん
—–参加者たちというのは、果たして個人が勝手に変わっていくのだろうか、それともやはり、何かしら、薫さんたちの、まわりの影響を受けた形で変わるのだろうか?
—–自分が最近変わったな、と思うことがあるけれど、それはなにかを諦めたとき。諦めたときにやっと、未だ違う道がある、と思って動いていける。

▽佐々木さん
……『100匹目の猿』かもしれない。
そもそも、活動家にとって、企業は敵ではない。イケてる企業っていうのは必ずあって、そういう企業こそ、いいこと、すばらしいことをしようとしている。これじゃ活動家のほうが負けてるよって、わたしは最近声をかけている。
活動家、は、こころ。活動家 at Heart。

▼ガオリュウさん
—–祈っていた時期から他の場所にいくときに、サークルのなにを見て心を開いて付き合うというのは、これだ、と思ったのか。
—–自分は最近、ツール(手法)に対して執着を持てなくなっている気がする。例えばIT界だとアジャイルと呼ばれる手法もあるけれど、そういったいろいろなツールの源流はファシリテーションでは? と思ってしまうと、源流=ファシリテーションを抑えていれば、ツールは必要ないのでは? と本気になって踏み込んでいけなくなったように思う。

▽佐々木さん
……じゃあ、ファシリテーションってなんですか、ってよく聞かれるけれど、それはいろいろでしょう。自分ははじめ、「うっかり」だった。わたしは割りとうっかりなんです。本が出るたびに世界が変わってしまうことになるから気をつけている(笑)
……ドラムサークルで、完全受容の世界を知った。アメリカまで師匠になるひとに会いに行って、海外から来たっていうのは、初めてだったみたいで。その場がとても、驚くほど受容された気がする世界で、そこから宿に戻っていって、街の喧騒とか喧しいそういう場所で、そんなに違う世界(街)に出ると、全部硝子の破片が刺さってくるように感じた。そして、つまり世界はこれほど傷つけあったり、こう、投げ合ったりして暮らしているのだと感じた。そしてそれくらい、サークルはミラクルな場だった。
……クムフラという存在がハワイにはあって、フラダンスだけではなくて、伝統やら医学やら科学やら伝承やら、いろいろなすべての知恵を極めた世界を知るひとをクムと呼ぶのだけれど、その有名なクムのひとりに、サンディさんの師匠にあたる方がいる。
……自分の師匠にあたるアーサー氏にも、右腕、左腕になるひとたちがいて、そのひとたちがきっちりやっていた。
……きちんとしたシステムになっている。メンターがいて、安定感もある。エゴが壊れてしまうひともいるけれど、ちゃんとお世話をする。フィードバックを、自分を正当化することなく受け止めていくことになる。ドラムサークルでは、みんながまるくなって集まっているなかで、つまり集合的な場のなかで、少しずつ動いて変化を探る。ひとが動けば音がして、その音はうごけば変わる。集合的な音も、ひとが動けば変わる。だって音は旅している。「ここ」にいたときはいいと思ったけれど、動いてみたら違った問うこともある。自分のなかのナイスアイディアを捨てなくてはいけなくなる。捨てていくと、そのうちすべきことが降ってくる。参加者たちがこれをして欲しいと思っていたものが自分に降ってくるようになる。プランに固執しないということ。

▼ガオリュウさん
—–直感というか、無意識に選んでいるのではないかなと思っている。経験で蓄積されてきたものから、出てくる、たくさんの蓄積された情報の中で、たったひとつ見つけた何かというか。

▽佐々木さん
……うまくやりたいじゃない、いいかっこしたい、成功したいというエゴ。自分の場合は身体が踊っているときや、突然すっと眠くなるときはうまくいくとき。体が勝手に動いていて、そうすると頭がパニックになる。身体がAをやろうとすると頭に違う、と言われる。Bをやろうとすると、そのためにはAになってしまって、頭が違うと思ってパニックする。それでCをやってみると、それだ! となる。
……Power of Being 思考というか、ありかた? ありかたのちからがある。ペーシング&リーディングというか、結局その場で、社会的なアイデンティティの破綻も起こる。人格は破綻させちゃだめなのだけれど(笑)
……結局エゴというのはこうあるべき、こうしてほしい、こうしたいこうするとかっこういいだろういたいなもので、そのエゴの死をたくさん経験したほうがいい。男性パーカスは割りと思考がマッチョなので(笑)
……自分もアイデンティティの破綻というか、つらいことがあった。ただ、つらいことがなくちゃいけないということではなくて、そういうエゴが壊滅するようなことがあって、そこから先へのプロセスがとても大切。
……アーティストとファシリテータは違うものです。例えば縦軸がコントロールの量だとして、横が時間軸としたものがあったときに(と円が1/4になったときの右上の部分のようなグラフを描かれる)、コンダクタがいて、それで、横軸の時間軸とともに、物理的なものからスピリッツ的なものへスライドして、コントロール量は時間経過とともに減っていく。

▼ガオリュウさん
—–理論について、自分の場合理論が入るとできなくなってしまうことがある。体感で得たものを体験でつかっていて、理論が入ってくると、間違えたかもと不安になる。正しい答えというか、理論に囚われてしまう。けれどあるところまでいくと理論は必要なのかなと思うこともあって、そういう理論と体感についてはどうなのだろう。

▽佐々木さん
……わたしには理論はない、覚えられないし(笑)でもじつは出身は理系なんですよ。だから、右脳開発してたら、右脳だらけになっちゃった。
……守破離の話ですよね、自分は放置プレイということを覚えた(笑)ミュージシャンは、破壊を恐れるんです。うつくしい音楽というものを知っているので。けれど、そのサークルや場で作っているのは音楽ではなくて、関係性。わたしはそれをしばらく放置していた。そうしたら崩壊した。みんな崩壊は世の終わりかもって思ってしまう。けれどそのおそれは、音楽がうつくしくないからではなくて、自分が格好わるいから。
……そこに自分が早く介入したいと思う。自分にはその崩壊が見えるから、けれどそこで介入を早くしてしまえばするほど、彼らが自分で学べなくなる。崩壊してもいいじゃない、と思って(笑)
……ファシリテーターとしては、もう、そこにいたっけ? と言われるくらいで。遠くから見守っていると、彼らが自力で何かが始まったんです。崩壊ではなくて、自分たちでルールを決めて終わらせる。崩壊ではなくて自主的に終わる。今日限りのルールを決めて終えていくと、今日限りだから執着もない、楽しいし、クリエイティブ。

▼ガオリュウさん
—–ほぼ自分の存在がないようにしていくのが究極のファシリテーターだよなあと……あちこちで、チームビルドとかも踏まえて、技術も含めた研修などをするときに、満足感だとか、良い場の提供だとかはできるしするのだけれど、結果をコミットはできないという恐怖もある。

▽佐々木さん
……どうするんですかとか言われてもね、結果を聞かれても、困る(笑)

▼ガオリュウさん
—–ファシリテーションとは、やはり日本から出ている考え方ではないのかなと思うこともある。

▽佐々木さん
……日本というか、アジアンの、「わたし」と「外界」の差がないんですね。ティムールもそうかな。言語的にそう。あなたという言葉とわたしたちという言葉がおなじ。日本の方言だとか。関西の、「我」が「おまえ」だったり。
……身体がつながっているとかきちきちとか意識していない。日本人はそういうことに気がつかない。アメリカ人は「場」としか言えない。気配や風土? といったものへの愛着についてアメリカ人にうまくつたえられない。
……たとえば、福島のひとたち、同じような土地で同じような環境で同じようなコストの場所を与えますというときに、土地への愛情、愛着というのがあって、他の場所に同じ条件の場所をもらっても、行きたくない。インド人にはもしかしたら、これがわかるかも。アジアンもわかるけれど、西洋人にはこれがわからない。
……先日はこういった内容を翻訳しなくてはいけなくて、その場に西洋人もいたので、どう訳したら伝わるのだろうかと。結局、先住民とか、そういった言葉を使った。

▼ガオリュウさん
—–日本では、そもそもファシリテーションは必要なのか、あるいは日本独自の方法が必要なのか? 

▽佐々木さん
……言語構造とか、社会構造とか、いまの構造のあいだに乖離があると思う。こころの部分は変わらないのに乖離があって、その乖離でこころの病気になりそう。
……ドラムサークルから始まったファシリテーションだけれども、使用前使用後の、大きな自分の違いがある。たとえば、あなたは今後ひとつのことしかしちゃいけないと言われたら、どうしますか? わたしは、「全面的に信頼すること」と答えます。自分は、これも過去の経験によるものだけれど、すべてのひとが神様だと言われて、このひとも神様、あのひとも神様、って思って過ごしていた時期がある。
……もちろん、これだけは、このひとだけは受容するのは無理と思うこともある。このひとも神様だって自分では思っているけれど、いやいやこのおっさんのことは無理だろうって思っている自分がいる。じゃあドラムサークル後になぜできるようになったかと。
……わたしの猿知恵は、このひとには無理なんだな、というふうに、わたしを悩ませるだろうなとか、わたしのやり方では、このひとはうまくいかないなとか、そういうふうに考える。
……サークルに来るいろいろなひとがいて、まあ偉そうだとか、逆にわたしなんか無理です迷惑かけちゃいますって異常に卑屈なひととかね、それが、変わる。サークルの真ん中にいると、手に取るようにわかる。そのひとたちが、許しを得て、自由でいいんだとわかったときの、花開いた時の、もう天才だ! ッて思う姿をたくさん見てきた。それがわたしにとってのギフトだった。一瞬自分がどんな猿知恵の判断をしていても、あくまでもそれは猿知恵。ひとつ信用したら、またいいことがあったと積み重ねて、ライトになりたっていったのが、変わったところ。

▼ガオリュウさん
—–じゃあ、最後に、ファシリテーションとはなんですか、という問いを。ここにいるひとたちにも聞きたいけれど。

▽佐々木さん
……全員400字以内で提出してください(笑)
……最初の頃はごりごりのエゴなのだけれど、大撃沈することがある。そういうときひとは自分を正当化している。自分が困るのは、サークルだから、360度周りにひとがいるから、だからにこにこしていないとみんな不安になるから、自分はにこにこしていたけれど、しまった、と思う時がある。ファシリテーションが失敗したと自分が思うということは、みんなが失敗してしまうということだと思ったので、もうそういうときは、方策として、いったん置いておく。そこから退場する。それで誰にも見えないところで、ううううう、ってすごく困った顔して(笑)、戻ってからみんなの前ではにこっとする。そうすることでみんなのことを安心させる。
……今日はひとまえで自意識を持つことなく、言いたいふうに話す、というのがテーマだった。

そして、7月から佐々木さんが向き合ってきた取り組みについての話で締めくくられたが、その話は佐々木さんご本人のblogに詳しいので、リンクで残しておこうと思う。

blogs.yahoo.co.jp

自分の感想は、このあとの記事で書いていくことにするけれど、しばらくいろいろなことを考えられそうだ。